子どもは自分の気持ちを大人のように上手く言葉にできないし
子どもは自分の抱えている苦しさを「人のせい」にしない
とある記事を読んでいて出てきたこの言葉に
あぁ これだ って思いました。
私が 子どもの抱えた気持ちをすくい上げたいと思う理由。
大人は自分で自分の気持ちを伝えられるし
大人は自分の考え方や捉え方を自分で直そうと努力もできる。
大人は自分の意志で選択できる。
自分の力で生き方を変えることだってできる。
でも
子どもにはそれができません。
もし大人になってもそれが上手にできない人は
やはり子ども時代から今に至るまで受け取りきれていないものがあるのだと思う。
子どもは1人では生きて行くことができないから。
特に赤ちゃんの頃なんかは
放置されてしまっては絶対生きていけない。
誰かに愛され、認められ、お世話をされなければ生きていけない。
私が 生きることは愛されることだと謳うのもそこからきています。
新刊でもそのことについて述べたけれど。。
大人は
「愛を貰うばかりでなく自分からも与えよう」
ができるけれど
赤ちゃんや子どもは
とにかく テイク、テイク、テイクの時期だから。
愛をもらうのが仕事です。
テイク、テイク、テイクして
その心が愛情で一杯になった時に初めて
誰かに愛をギブしてあげることができる。
本当の本当は
そこに存在してくれているだけでその子から愛をギブしてもらっているんですけどね。。。
それを大人はいつしか忘れちゃう。。。
子どもは苦しさを抱えてしまっても
それを上手く伝えられないし
自分で抱え込んでしまう。
でも その小さな心には抱えきれないほどのものを背負ってしまったとき
それが 体の外にSOSとして見えるカタチとなって現れます。
でも その苦しさを子どもは誰かのせいにはしないんですよね。
抱えて 抱えて 自分のこころがどんどん削られて
それで必死に出したSOSでさえも受け止めてもらえなかったら
子どもは 一体どうしたらいいんでしょう。
子どものする行動には全てに理由があります。
それを 親をはじめ、子どもを見守る全ての大人に 知っていてほしいなぁと思います。
そんなことして悪いやつだなぁ じゃなくて。
ダメなことはどんな理由であれダメなんだ!! じゃなくて。
もちろんダメなことをした場合
他の誰かや自分を傷つけるようなことをした時にはきちんと叱らなくてはならないけれど
こころが削られている時に
正論だけで叱られても まったく響かないんです。
ダメなことだと分かっているのに やってしまってるわけですから。
まだ社会のルールもよく分かっていない赤ちゃんが事の重大さを知らなくてやってしまうのと
事の重大さを分かっているのにワザとやっているのでは
大きく意味が違います。
子どもがダメなことだと分かっているのに繰り返したり
不安定な行動を繰り返したりするようだったら
どんな想いを抱えているんだろう。
と、見落としがちだけれどとても大きな『相手の気持ちを想像する』という階段をすっとばさずに。
その階段の上で じっくり向き合って、
抱きしめて話をしてあげてほしいなと思います。
あなたが大事なんだよ って
相手に伝わるまで伝え続けてあげてください。(*^^*)
子どもの抱えた気持ちをほどきたくて私がしていること