とある夜。
お風呂場にいるゆうちゃんに呼ばれてお風呂場に行くと、(何の用で呼ばれたのかは忘れちゃいました。笑)
ゆうちゃんが私の洗顔料(泥パック)を使っているのを発見!
めちゃくちゃ緑の泥パックが床を流れているやーん!!
ゆうちゃんはしれっとしてたような、何もないような顔してたような?これも忘れちゃった。笑

もう、勝手に使って〜!!
という気持ちもゼロではなかったけれど
それ以上に私の心の中に浮かび上がってきたのは
かつて私もこっそり母の洗顔料や化粧水を使っていたときの記憶。
中学生や高校生の頃、自分の洗顔料や化粧水も持っていたけれど
母の使うものは、なんだかとても高価そうに見えて、素敵な入れ物に入っていて、いい香りがして、とても大人なものに見えた。
お風呂場で。
洗面台で。
私はたまに、こっそり、それを拝借して使っていた。
母の持つ物を使うと、
なんだか自分も大人になったような気がしたものだ。
大人に憧れた子どもの時の景色と香り。
そんな記憶があったので、
ゆうちゃんに「もう、勝手に使って!」と言う気にはならなかった。
あぁ、ゆうちゃんもそんな年になったんだな。
と少し微笑ましい気持ちになった。
そして、もしかしたら。
実は過去の母も子どもの私がこっそり使っているのを知っていて、それでも知らないふりをしてくれていたのかもしれない、とも思った。
私はバレていないと思っていたけれど、実は今日のゆうちゃんのように何かの拍子にしっかりバレていて
それでも何も言わずに見守っていてくれていたのかもしれない、とも思うと
今の自分が過去の母と重なり、
今のゆうちゃんが過去の自分と重なって
何だかこそばゆいような、嬉しいような、巡り巡るものがくすぐったくて
ふっと 1人笑みがこぼれた。
子育てをしていると
あの時の母は、父は、きっとこう思っていたのかもしれない、と、親の気持ちに思いを巡らすことが増える。
子どもを育てていると
子どもの時の自分に何度も出会う。
そして、その時、私を育ててくれていた母と父にも。