そう、これ。
あの記事でここに触れると長くなりすぎちゃうから(ただでさえ長文型ブログなのに!)この時の気持ちはあっさり省いたんですが
本当に一瞬。
「でも発表会だしドレスの方が…」と思う自分がいました。
『発表会』には『ドレス』が【理想的】だと感じる自分が、脳みその奥の方からほんの少し顔を出したんです。
でも、次の瞬間、その考えは自分の中から消えました。
だって、その私の期待する理想的なことって、
ゆうちゃんにとって何になるんだろうと思ったんです。
今日は何の日だろう。
今日は誰のための日だろう。
そう思えば思うほど、『理想的』って誰にとって? と思えてきたんです。
「せっかく用意したドレスなのに」
「みんなはドレス着てるのに」
「発表会はドレス着なくちゃ」
それって、誰が、誰の目を気にしてるんでしょう?
大抵は親が
子どもがどう見られるかよりも
『親自身が周りからどう見られるか』ということを気にしがちです。
そして
子どもに「あなたの為を思って」という重たい風呂敷に包んで押し付けてしまいがち。
「せっかく(あなたの為に)用意したドレスなのに」
「みんなはドレス着てるのに(着ないと恥ずかしいよ私が)」
「発表会はドレス着なくちゃ(恥ずかしい思いするよ私が)」
言葉にはしないけれど、きっとそんな親の見栄や世間体とかが見え隠れしていて
私の脳みそにも、そんな私が0.数秒ひょっこりはん。
でも、私はこの
「(本人は嫌がっていることなのに親の立場的に)して欲しいな」という気持ちに、
自分自身ものすごく違和感があって。
だって、ただただシンプルに
『今日は誰のための日なのか』を考えたとき
親の求める「理想」の中に、子どもの気持ちはある?
その親の見栄や世間体って、子どもの笑顔を守ることより大切なこと?
そう思えて仕方なかったからです。
ドレスが、ゆうちゃんを窮屈に閉じ込めてしまうものなら
それはゆうちゃんには必要ないものだと思えたんです。
親がどうして欲しいか、じゃなくて
子ども自身が何をしたいのか。
その声に、まずは耳を傾けてあげること。
そして、子どもの心と身体は、自分の気持ちにびっくりするほど正直だし
自分が笑顔でいられる術を子どもたちは本能レベルでちゃんと分かっていること
それは、私が子育てをしてきた中で子どもたちから染み込ませてもらった感覚でもあります。
そしてその培ってきた自分の感覚が
一瞬「でも、ドレス…」と脳裏によぎった私自身に『てぃっ!』と、デコピンしてきました。
あの日のことを振り返って考えてみると
「いいよ。ゆうちゃんの好きな服を着よう。」とすぐに笑って伝えられて良かったと感じています。
ゆうちゃんが
「(みんながドレスを着ていても)
私はドレスじゃなくて普段の服がいい。
その方がいつもみたいに弾けるから。」と
自分の気持ちをハッキリ伝えられるチカラを持っていることを私は嬉しく感じたし
どんな時だって大切なのは
親の、親のためのちっぽけな理想よりも、本人の気持ちであることを、
自分で出ると決めた発表会で
自分で選んだ服を着て堂々と演奏を終え、発表会後に「楽しかった」と笑ったゆうちゃんを見て、改めて感じることができました。
子どもの人生の主役は、いつだって 子どもであることを親は忘れてはいけないし
。。。。。。。。。。。。。。。。。
【書籍】
重版御礼!
不安なあなたがゆっくりラクになるメッセージ Amazon |
重版御礼!私流の手帳やノートの使い方を
ご紹介させていただいています(*^^*)
只今メッセージの返信が出来ません>_<
またいただいたメッセージはブログ内で紹介させていただく場合がございますのでその旨ご了承下さい。
子どものこころと向き合う子育ての輪がたくさん広がりますように。。。♡