人の痛み

ママちゃんのひとりごと

私が今回の流産を経て感じことは、たくさんあったのだけれど

色んな方からの色んな反応を読んで
思ったことを、少し。




もしこれが1人目の子どもだったら。。。

ほかに子どもがいなくて、待ち望んでいた初めての子どもだったら。。。


それこそ、ゆうちゃんにもおーちゃんにもトウくんにも私が会えていない状態だったら。。。


お腹の中でお別れをしなくてらならないその辛さや苦しさは、現実に3人の子どもがいる私には想像も出来ないことかもしれない


ということ。




もし、これが11週じゃなくて臨月での死産だったら。。。


胎動を感じて、10か月かけてお腹の中で育ててきて、もうすぐこの手で抱きしめることができると胸を躍らせるあの時期にお腹の中で亡くなってしまったら。。。


現実に3人をお腹の中で育てたことがあるからこそ、その悲しさは身を引き裂かれるようなものだろうと思うけれど

無事に3人の子どもを産むことができた私には、その痛みの全てを理解することは出来ない


ということ。






でも、

何週目だろうと
何人目だろうと
何歳だろうと

愛した存在をなくすのは  
怖くて悲しくてさみしい。


だって  この世にあの子は  あの子以外にいないのだから。




だから思う。



あなたは子どもが1人いるんだから 
 2人目の流産は悲しくないでしょう

 なんて他の人が言えるのだろうか



あなたは子どもが2人(男の子も女の子も両方揃って)いるんだから  
3人目の死産はそんなに辛くないでしょう

なんて他の人が言えるのだろうか



0歳の子をなくすことは
10歳の子をなくすことよりもきつくないでしょう


なんて   誰が言えるのだろうか。






妊娠できない理由を持つ人だっている


無事に産まれたって  
事故や病気で子どもをなくす人もいる


無事に子どもが成人したって
親の自分より先に子どもに先立たれてしまう人だっている



子どもがいたって
旦那さんをなくす人だっているし


大好きだった実母をなくす人だって

最愛のペットをなくす人だって

大切な、大切な、友人をなくす人だっている。





私たちは  誰かや何かをなくしながら生きていかなくてはならないのだ。


今当たり前だと思っている全ての出来事に対して


その存在が当たり前ではないことを思い知らされながらこれからも生きていかなければならないのだ。




そして、その感じ方は人それぞれ違う。

全く同じ悲しみを抱く人なんて1人もいない。


1人1人、顔や性格や生い立ちが違うように

その人の中に生まれる感情の深さや広がりや残り方は  その人だけのものだ。




「痛み」に  上も下もない。



世界でただ1人のあの子に

世界でたった1人だったあの人に会えなくなる悲しみに


上も下もない。




間違いなく誰もが  

痛みや傷を抱えて今日を生きているのに、



誰かの悲しみや寂しさを

自分の経験した悲しみや寂しさと比べて


その誰かの「悲しみの総量」を計れるはずもないのに、



人はつい

「そんなの大したことないこと」

と誰かの気持ちを計ろうとする。





でも、計れないよ。


寂しいけれど、絶対に計れない。


人の胸の奥にある  
マシュマロみたいに柔らかくて脆い部分の強さなんて


絶対に計れない。





私たちは何かをなくしながら生きている。


気の合わないあの人だって
何不自由なく幸せそうに見えるあの人だって


必ず、何かをなくしながら生きてきて
その人だけの辛い経験や苦労をしている



そのことを  私たちは忘れてはならない。






そして  同じように忘れてはならないのは


なくした数と同じ数だけ

私たちは何かに気付いたり、何かに触れたり、何かを深めたりして生きていくこともできる


ということ。




なくしているようで
なにかを得ていて

なにかを得ているようで
なにかをなくしていることもあるかもしれない



なくすことと、得ることは表裏でセットになっていて

結局そこに何が残るのかなんて私にも分からない。




でも人生その全てで

何かを得ることができる瞬間を私たちはたくさん贈られていて


それをどう受け止め、生かすのかは

これもまた  その人それぞれ。




全てを計ることも
理解することもできない


でも  
だからこそ

その分、痛みを想像できる人になれたらいい

その分、今より少しだけでも優しく在れたらいいなと思う。




涙が止まらないような出来事が

思いがけず起こるこの日々の中で


昨日の私より  ほんの少し変われるチャンスを

私はたくさんもらっている。




今を、この人生を、どう生きようか

そんなことを考えるチャンスを


私たちは  枯れ果てた涙の向こう側でたくさん見つけることができる。






気付かされることは  恥ずかしさと喜び

改められることは  苦しさと幸福



だから生きていくって

痛くて、瑞々しくて、

悲しくて、素晴らしいんだと思う。










これは「自分」と「他人」

という関係だけじゃなくて

「親」と「子ども」に変換しても同じことが言えます。



子どもも、1人の「人」。



この記事の「誰か」「人」を、適所「子ども」に替えてもう一度読んでもらえたら


また違う感想を持ってもらえるかもしれません。。。












LICO

作家。ブロガー。
子育てアドバイザー。

自身の子どもの頃の経験を基に構築されたママちゃん育児法を軸として「子どもたちに【愛されている実感】を」を信念とし、子どもたちと穏やかに向き合うためのヒントや、我が家の日々の出来事などをブログで紹介しています。

怒り方も大切。
叱り方も大切。
でも  やっぱり一番大切なことは
その「怒る」でも「叱る」でもない
なんてことない日常が
ママの笑顔と愛に溢れていること 。 

自分の真ん中に『愛』だけしっかり持って
あとは  ゆるく生きましょう♡

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