先週 中3のゆうちゃんは
修学旅行で広島へ行った
2泊3日で
ゆうちゃんがいない日があった
ゆうちゃんは今
TWICEが大好きで
目覚ましもTWICE
勉強中もTWICE
お風呂でもTWICE時々東海オンエア
という生活をしている
そんなゆうちゃんがいない修学旅行中
めちゃくちゃ家が静かだった
もちろん下の弟4人のあーだこーだした声は
安定してあったけれど
でも
家からTWICEが消えた
つまり ゆうちゃんが消えた瞬間だった
「あれ?さっきまでここにあったのに
どこいったっけ?」
と、
急にポッカリ「ない」ような感覚になって
そわそわ寂しい気持ちになった
そして
あぁ。そっか。
これって今は3日間だけだけど
あと5年もしないうちに
「ゆうちゃんの音がしない我が家」って
来るんだ。
そんなことをリアルに感じたりした
ゆうちゃんは中3になった今でも
相変わらず
「ママ、もうダメだ、疲れたからギューして!」
とハグを求めてくるし
「ちょっと聞いてよ!今日友だちがさ!」と
なんてことない話をしてくれるし
先日は門限破って私に叱られたりして
私たちらしい毎日を過ごしていると感じているけれど
ふと思うのは
ゆうちゃんが「ママ」って呼ぶ回数
本当に減ったな、ということ
今、
学校に部活に、
塾に、お友だちに、遊びに忙しいゆうちゃんが
明確に「ママ」と私を呼んでくれる回数は
1日に3回あるかな?程度
そして
私も 家にあまりいなくなったゆうちゃんに
「ゆうちゃん」と呼びかける回数は
きっと片手で掬えるくらいに収まってしまうと
ゆうちゃんが家から消えたあの3日間に
ふと考えたりした
「ゆうちゃん」
「ゆうちゃん」
「ゆうちゃん」と
ありがとうと褒めるたび
こっちおいでと呼び寄せるたび
ゆうちゃんの好きな水色の花を見つけるたび
大好きだよと抱きしめるたび
ご飯で遊ばないよと注意するたび
トイトレ失敗してイライラして怒ってしまったたび
丸いほっぺにふれるたび
時間がなくて玄関で急かすたび
手を繋いで一緒に夕焼けを眺めたたび
小さな頃は1日に何十回も呼んでいたその名前も
こうして 成長するにつれて
だんだん呼ぶ回数も減っていくこと
そして
私のことを「ママ」「ママ」「ママ」と
何であんなに私のことを呼んでくれていたの?
と不思議になるくらい
飽きもせず
1日に何百回も呼んでくれていたように感じるあの声も
成長するにつれて もう呼ばれなくなっていくことも
分かっちゃいたけれど
その時がこうして目の前に来て
「ママ」と呼んでもらえた時間が
間違いなくあったこと
「ゆうちゃん」の名前を
たくさん呼ばせてもらえたことは
本当に幸せな人生だなと
改めて感じている
私はこれからも
死ぬまで子どもたちの「ママ」だし
私が死ぬまで
子どもたちの名前を何度も何度も
何度も何度も呼び続けたいと思うけれど
ひとまず
今一緒に
顔を上げれば目が合い
楽しそうな笑い声と、不機嫌そうな足音が聞こえ
一緒に「おいしいね」と言い合い
置きっぱなしの鼻かみティッシュに腹がたつ
同じ家で生きることができている
この線香花火のような日々の中で
子どもたちの名前を
これからも何かにつけて
たくさん呼んであげたいと思う
おはよう、トウくん
おーちゃん、いってらっしゃい
おかえり、そうちゃん
お待たせ、タロさん
ゆうちゃん、おやすみ
あなたの名前は あなたがそこにいる証
あなたがここにいてくれることが
何よりも、何よりも、嬉しいから
私はこれからも
あなたの名前を呼ぶよ
呼ぶ回数は減っても
あなたがここにいる証に 愛を込めて


