【小学2年生】行きしぶりが始まった息子を私が毎日学校に連れて行った理由
の、ちょいと続きで今感じていることをひとりごと〜♡
おーちゃんが学校で描いた「カエルと僕」☺︎
二人ともいい顔で寝てる(o^^o)
行きしぶりに関しては、学校からいったんスッパリ離れることで気持ちを立て直し、その後復学できる子もいるし
学校に行かないという選択をすることで自分らしく自分の道を生きることができる子もいます。
学校に行きたくない原因に友人関係の問題や、先生との問題、時に家庭内の問題が影響していることも。

両親がけんかしているとか、大好きだったおばあちゃんが亡くなってしまったとか、赤ちゃんが生まれて親に構って欲しい気持ちを抱えている、など。
私も今回、タロさんが生まれた後のことだったので、普段タロさんをめちゃくちゃ可愛がってくれているおーちゃんだけど、さみしさを抱えていたのではないかはまず気になったことでした。
「学校がしんどい」と訴えてくれたことで、子どもが抱える発達の偏りや、境界知能、HSC、学習障害などなどに気づくことができるかもしれません。
その場合は、その子がその先の人生を生き辛くならないよう、その子のしんどさに適したサポートや周りの理解・協力が必要になってきます。

我が家ではゆうちゃん、特におーちゃんが感受性が強く繊細な部分があるので、HSCの傾向があるかな?と感じていますが、日常・集団生活を送るのが困難でサポートが必要な程か?というと、そこまでではないと感じます。
子どものペースを見守り、成長とともに解決出来ることもたくさん増えました。
みんな何かしらの凹凸はあるからね(o^^o)
個性がまっ平らな人なんて、いな〜い♡
私にとっては、「ゆうちゃん」「おーちゃん」「トウくん」「タロさん」の個性にしか感じないのですが(o^^o)
本人がいつか自分と向き合う時に必要な情報であれば渡してあげてもいいかもしれませんね(o^^o)
子どもの気持ちに寄り添う姿勢は、子どものどんな個性に対しても大切なことなので私はこれからも自分の「ママちゃん育児法」を大切にしていきたいと思います(o^^o)
子どもが「学校に行きたくない」「学校をやめたい」と言い出したら、多くの親は心配するし、焦るし、迷うと思います。
私も、サポートの方向性が定まらないうちは気持ちの落ち着かない日が続きました。
苦しくて、しんどかったです。
でも1番辛いのは子ども本人だと分かっているからこそ、どうしたらその子どもの気持ちを救ってあげられるのか、正解が分からなくて、未来が分からなくて、不安で涙が出る日もあると思います。
けれど、社会と繋がりをもつために必要な自信の持ち方は、子どもによっても違うし、「大丈夫のコイン」が心にたまるまでにかかる時間も子どもによって違います。
それは幼稚園入園の時にも感じましたが、小学生になっても同じことが言えるのだなぁと実感しています。
子どもが「学校に行きたくない」と言い出したら、その時は不安でいっぱいで焦っているので、ネットの中や他人の言う「休ませるべき」「行かせるべき」という「こうするべき」情報に振り回されがちになりますが
本当にたくさんの経験談や考え方があるので。。。
だけど子どもに必要なものは
他人の言葉の中になんてなくて、目の前の子どもの中にあります。
私が今回、おーちゃんに毎日向き合う中で改めて感じたのは
子どもの些細な変化に対し「あれ?」「もしかして」と感じた自分の勘に信じる価値があること
答えをすぐに求めないこと
焦らなくていいこと
とにかく、とにかくゆっくりでいいこと
「みんなができること」は「おーちゃん」に関係ないこと
「おーちゃん」は「おーちゃん」なこと。です。
私は行きしぶりに対して「休ませるべき」「行かせるべき」なんて書く気は毛頭ありません。
自分が経験したからこそ言えます。
答えは親子の数だけあります。
「行きたくない」とは「助けて」です。
本人だけでは抱えきれなくなった問題を抱えています。
その問題を解決するために
学校から離れることが必要な子もいれば
学校に慣れることが必要な子もいるし
環境を変える必要がある子もいれば
時間とともに解決する子もいます。
「学校に行きたくない」と訴える子どもは、一人一人全く違うストーリーを抱えているし
行きたくない理由も、行けるようになる理由も、行かなくていい理由も、子どもの数だけ存在します。
同じ環境で生まれ育ち、同じ性格・気質を持ち、同じ学校で同じ先生と同じお友だちと出会う子どもは、世界のどこを探してもいないからです。
それだけ多種多様な「行きたくない」ストーリーを抱えた子どもの答えの中に
「普通」なんて存在しないし、「他のみんなはこうなのに」もないのです。
おーちゃんは、世界に1人しかいません。
おーちゃんの苦しさや、おーちゃんの安心は おーちゃんにしか分からないことです。(なるべくその思いに寄り添いたくて対話と観察を続けているけれど)
なので私は、今回の自分の対応が正しかったかどうかはおーちゃんにしか決められないと思っているので「何が正しいのか、何が正しかったのかは、その答えは今はわかりません。」と前の記事で書いたけれど、ひとつだけ感じていることがあります。
それは、子どもの様子を観察し、子どもと対話を重ねながら、浮かび上がる選択肢をあみだくじの分岐点のように選び・進んだ道が
私たち親子の今の正解なんじゃないかなということ。
そしてそのあみだくじの先に「ハズレ」なんてなくて
その時に選んだ道、全てに親子の「花丸」が描いてあるんじゃないかなぁ。。。
って、今ママは感じてるんだけど、どうかな。
未来のおーちゃん(o^^o)
今回は、数日学校を休んだのち、おーちゃんの失くしかけていた自信と安心の土台を再構築すべく、なるべく少しの時間でもいいから学校と接する時間を持つことを選びましたが
もしまた今後、おーちゃんが「行きたくない」と言い出したら、その時のおーちゃんと対話しながら、その時に必要だと思うことを選ぶことでしょう。

ゆうちゃんが「行きたくない」と行い出した時も
トウくんやタロさんが「行きたくない」と言い出した時も
きっと、それぞれに対応は全部異なってくるだろうなぁと思います。
未来の子どもたちが笑っていることを願いながら
これからも「目の前の子どもの心と会話すること」を大切にしていきたいと思います(o^^o)