今見ているこの夕焼けの美しさを正確に表現できる言葉を、私は持っていない。
言葉にならないのではない。
言葉が存在しないのだ。
常々思う。
言葉には限界がある。
心の色合いも透明度も模様も、正確には伝えられない不完全な道具だ。
そして思う。
人は心の中にこの空を持っている。
のぶえのばあばが私にとってどんな存在だったかを正確に表現できる言葉を
私は持っていない。
のぶえのばあばが死んだ時の気持ちも、正確には表現できない。
あえて存在する言葉にしようとするなら
それは「大切な人」で「悲しかった」だ。
ただ、それは私の心模様や心の機微をそっくりそのまま転写できる言葉ではない。
完璧には伝えられない、
私の心のニュアンスには程遠い言葉たち。
それでも、私は、
余白だらけの、画素数の粗い言葉で叫ぶ。
のぶえのばあばに「ありがとう」と何度も伝えたし
のぶえのばあばが死んだことを「悲しい」「さみしい」と泣いた。
その言葉で伝わるとは到底思えない質量の思いがそこにある。
全部伝わらないことはわかっている。
それでも叫ぶ。
カケラでいいから届いて欲しいと願うからだ。
言葉は万能ではない。
でも、言葉は私の生命線であり、
私とあの人を繋ぐ、糸電話の細い糸だ。
そしてそれは、子どもも同じだ。
その小さな胸の中にある複雑な心模様の全部は、決して表現できないだろう。
大人でさえ言葉を持っていないのに。
子どもが話す言葉は、
子どもが抱えている思いの氷山の一角に過ぎない。
自分でも把握しきれない大部分の思いを
その全部を
うまく言えなくたっていい。
伝わらない歯痒さに泣いたっていい。
だからこそ、
せめて、声になって渡してくれた言葉を
雑に払わず、大切に拾いたい思う。
歯痒さに泣いて暴れるしかない苦しさを
想像したいと思う。
全部は決して知ることはできなくても
表現できたそのカケラを知りたいと思う。
誰かに知って欲しくて
「すごかった」「きれいだった」「嫌だった」「わかってほしい」と、
自分の中に存在する精一杯の言葉を口にする、そのカケラを。
言葉は万能ではない。
でも、言葉は
その子の近くにあり、その子に寄り添い、その子を映してくれるものだ。
それは、
どうにか私に分かってほしいと紡いでくれた
星座の名前だ。
「あなたがそこにいる」という印だ。
あなたの言葉はあなたを映しきれないけれど
あなたの言葉はあなたそのものでもある。
だから、
「あのね」と、一生懸命取り出してくれたその言葉を
聴きたいと思う。
「あのね」と、拙くても、渡そうと、話そうと思ってくれたことに
「ありがとう」と思う。
言葉の不完全さと脆弱さを知っている。
でも、言葉が繋ぎ、ふち取り、彩り、
存在の拠り所になることも知っている。
だから、
こちらの思い込みや決めつけで
小さく光るその星座を黒く塗りつぶさないように
差し出してくれた糸電話の細い糸を
こちらがハサミで断ち切ってしまわないように
「あのね」の先を、聴きたいと思う。
ただ目を合わせ
うんうんと深く頷きながら
溢れているその子のことを、抱きしめたいと思う。


