子育てって、それまで積み上げてきたジェンガを崩されるところから始まる作業だと思う。
なんの悪びれもなく。
ひょいっと。
あっけなく
ガラガラと。
崩すのはいつだって子どもたちだ。
そして、
新しいジェンガを一緒に積み上げてくれたのも
子どもたちだ。
一度真っさらになったこの場所に
また新たに積み上がっていく景色がある。
かつての私には到底見ることのできなかった
泣けるほど優しい景色だ。
振り返って思うことは
崩されることに抵抗しなくて良かったということ。
それまで必死に積み上げてきた価値観や、考え方や、他人の評価や、物事の進め方。
それが頑ななほど、
子どものすることが許せないかもしれない。
許せないそんな自分を、許せなくなるかもしれない。
でも子どもたちは、親を困らせるためにジェンガを崩そうとするわけじゃない。
そのことに どうか気づいてあげてほしい。
子どもは
私たち大人に何を伝えようとしているのか。
崩されるままに崩されたその先には
自分がここまで力を抜いて生きていいことに
人は冷たくなく、温かいことに
自分はちゃんと愛されていることに
きっと 気付くから。
これからは びっちりではなく、
隙間をあけてジェンガを積み上げていこう。
強い風が吹いても
風が歌いながら吹き抜けていけるように。
こちら側から
向こうの景色も見えるように。
自分を
ゆるやかに支えていけるように。
私のジェンガのふもとには
いつだって 笑って私を困らせる
最高に愛しい子どもたちがいる。