『なんかしんどいな』
『ツライ』
『これ以上頑張れない』
そう感じたら
それって子どもからのプレゼント。
子どもは
『ママは1人じゃないよ』
を教えにきてくれているから。
それを伝えたくて やってきたから。
だから知ってほしい。
しんどいなって感じたら
それって子どものせいとかじゃなくて
子どもが
「ママ、もっと周りに甘えて大丈夫。
周りに頼って大丈夫。
周りを信じて大丈夫。
もっと楽に生きて大丈夫。」
って教えてくれてるお知らせサイン。
だから、どうかそのサインを
「なんで私はうまくできないんだろう。」
と自分を責めるものとして受け取らないで。
子どもが教えてくれているのは
そっちの道じゃないから。
ママが大人になるまでに凝り固めてきた鎧を
『ママ、その重たいの、おろしていいんだよ』
って剥がしにきたの。
自分を必死に守ってきた鎧だから
剥がされそうになったら抵抗したくなるし
笑って、泣いて、本能で生きている子どもに剥がされそうになったら
イライラもするかもしれない。
でも
でもね
子どもはママを困らせたいんじゃないんだよ。
ママを 楽な方に導きにきたんだよ。
本当のことを教えにきてくれたんだよ。
ママがずっと忘れてしまっていること
ママがあれから信じられなくなってしまっていること
ママがあの日取り上げられてしまったこと
ママが無意識に諦めてしまっていること
ママが頑なに強がってしまっていること
それを 教えにきてくれたんだよ。
だからどうか
子どもを責めて 子どもを嫌いにならないで。
だからどうか
自分を責めて 自分を嫌いにならないで。
そっちの道に行かないで。
『ツライ』と感じているなら
それは
頑張りどころじゃなくて
抜きどころ。
頼りどころ。
甘えどころ。
そのことを
子どもは自分の本能を目一杯使って
『ママ、大丈夫だよ。
ぼくを理由に周りに助けてもらいなよ。
確かめてごらんよ。
ママはちゃんと大事にされるよ。』
と 教えにきてくれているのだから。
私が子どもの存在を尊いと思うのは
いつも いつでも 愛で満ち溢れているから。
抱きしめているようで
抱きしめられているのはいつも私で
見守っているようで
見守られているのはいつも私であることを
この肌で痛感しているからです。
それは確かにそうだと思う。
でも その『大変』って
捉え方を変えるだけで
自分の価値観や人生観までガラッと変えることのできるキッカケになれたりする。
大変は
「自分が大きく変わる時」。
その 変わるべきこと
変えるべきこと
ママが何を頑張り過ぎて、本当は何を求めているのかを気付かせにきたのが
その存在を「大変」と表現されてしまいがちな
他でもない「子ども」なのです。
子どもは
ママを困らせたくて泣いているのではないのです。
子どもの泣き声は
ママが我慢やさみしさを抱えていること
ママが我慢やさみしさを抱えていること
無理を限界までしていることを教えてくれるリトマス試験紙です。
「しんどい」と感じるのなら
それはママが我慢を手放す合図。
誰かに甘えていい合図。
それを どうか多くの人に知ってほしい。
この考え方
母親学級とかで広めてくれないかなぁ。。。
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